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子供の気持ち

  • 執筆者の写真: vivitara
    vivitara
  • 2018年1月7日
  • 読了時間: 3分

長い経緯の後、後ろにオチ?があります

昨日は、遊園地で行われるプリキュアショーに行ってきました。

ショーは2回。

お天気に恵まれました

11:00からのショーは、私が席とりしている間に、娘はパパと遊具に乗りました。

ショー後、3人で昼食をとり、パパは14:00からのショーの席取り。

午前中は陽が当たっていたが、午後は建物の陰が。。。

パパは凍えながら1時間半、ベンチに座って席とり。 でもね

ショーを見ているときの娘のはしゃぎようを見ていると、そんな苦痛も忘れてしまう。

その間、娘はママと遊具に乗りました。

14:00のショーが終わって、今度はスケート。

スケート2回目にして、パパの手を放して一人で滑れるようになりました!

といっても、「滑る」ではなく、「氷の上を歩く」ですが、本人は滑っているつもりで、得意げ(笑)。

私?

スキーとかスケートとか、滑るスポーツは苦手なので、リンクの外から見学。

「あと2周したら、ゲームを2種類やって帰ろう」というパパとの約束で、スケート後は輪投げ、ボール入れなどのゲームを結局 3種類やって出口に向いました。

娘は終始 満面の笑み。プリキュアショー、スケート、遊園地の乗り物、ゲームと、娘には楽しい1日になりました。

ところが、出口付近、ライトアップされたメリーゴーランドを見つけ、もう1回乗りたいと言い出す娘。

楽しいことが終わる時は、いつも駄々をこねる。

「もう帰るという約束だから、ダメ」とパパ。

私は大泣きしている娘を抱えて車に。

自分の気持ちが通らないと、それはそれは、激しく大泣き。 「もう、パパなんて大嫌い!(私が娘の味方をしないので)パパにはママがいるけど、私はひとりぼっち。だれも私のことなんて気にしてくれない」

子供が泣くときって、どうして大袈裟なことを言うんでしょうね(笑)。 あまりの「私は可哀そう」ぶりに、思わず笑ってしまいそうになるほど。 でも、娘は真剣。

あまり泣きすぎると、自分がなぜ泣いているのか、わからなくなるので、あらためて 私が泣いている理由を尋ねる。

すると、

「ママはスケート、写真を撮るだけで一緒に滑らなかった(はい、それが泣いている原因ですか?)」

「パパは(午後からのプリキュアショーの前)、一緒に乗り物に乗らなかった(午前中はパパと二人で乗ったよね。パパは寒い中、あなたのために待っててくれたんだよ)」

私「パパともママとも、乗り物乗ったじゃない」 娘「乗ってない!三人で一度も乗ってない!今日いちにち、一緒に遊んだことなんて何も無い!」

ああ、そうか、最後に1回で良いから三人で乗りたかったのか。

私たちは、娘に最高に楽しい1日をプレゼントしたつもりでした。

でも、娘には何か足らないものがあったんですね。

楽しいことが続いている間は、その足らない気持ちも楽しいことで紛らわされるけど、紛らわすものがなくなったら、一気にさみしくなったんだなと理解できました。

そうね、今日三人一緒に居たのは、食事の時だけだったものね(ショーは一緒に見たけど)。

他人の気持ちを慮る(おもんぱかる・おもんばかる)のは、なんと難しいことか。

娘の気持ちがわかると、私も涙が出そうになった。

次のスケートは、私も一緒にやることを約束して、仲直りして帰りました。

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